アウトプット

そろそろ色々と書きものも始めようかなあと思いはするのですが、それでも、筆が乗らない。

アウトプットが大切です、は、わかる。たしかに、インプットをより良いものにする意味で、アウトプットの効能は高いなと経験からしても思うには思う。

けれど、あれこれ書いても、数ヶ月後に見返すと、「あれこれ知らずに、よくこんなもん偉そうに書けたもんだな」と思えてしまう。

知識が増えるからそう感じるわけで、その実感そのものは悪いものではない。

けれど、とはいえ、あまりに言説を吐くに足るだけの知識・見識が不足している。

どこかで踏ん切りを付けて、知らん顔をして物を書き、知らん顔をして物を言わなければならない時が来るだろうとは思いますが、やはりいまはその時ではない。

論語から、若かれし頃は立身出世すべきではない、というような一説を引きたかったのですが、見つからず。(安岡正篤先生の「無名有力」話と、ごちゃごちゃになってしまっている気がする。)

連綿とほそくながく書き続けることがこのページの目的ですから、波があるのも決して悪いことではない。

こちらは、引用。日々のルーティンワークに対する心掛け。

子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す。子曰く、賜や、爾は其の羊を愛しむ、我は其の礼を愛しむ。
(論語 八佾第三 17 子貢欲去告朔之餼羊章)

世界遺産の温泉地でひといき|湯ノ峰温泉・あづまや(和歌山)|温泉のすゝめ65

我が心の故郷、和歌山県。
何度訪れてもたりない、奥ゆかしき水の国。

太平洋に面する白浜や勝浦は名湯として名高いが、紀伊山脈深くに鎮む龍神、川湯、湯ノ峰といった温泉地がそれらに比肩するかといえば、答えは否になってしまおう。

龍神、川湯には以前足を運んだが、この度は湯ノ峰温泉。世界で唯一の、世界遺産の湯壺を有する温泉地。

宿泊は「あづまや荘」。夏場は登山客で賑わうであろう民宿。湯に入ったのは系列の「あづまや」。

籠と洗面台だけのシンプルな更衣所。サウナは休止中。

湯処に足をすすめると、艶やかな木張りの壁、浴槽が空間を包む。
浴槽は、1人用のあつ湯槽と、大人4,5人が最大キャパシティーの大浴槽。身体が芯までほくほくと暖まるので、湯に浸かっては地べたに座って火照りを冷ますの繰り返し。

湯は、どことなく柔らかい。
目で楽しむ湯ではないが、身体へのあたりと、湯処の空気感で温泉であることを感じられる。

露天湯にも浸かったが、屋内湯が気持ちよかったのでそちらは割愛。

アクセスの都合もありなかなか選択肢には入らない温泉地ではあるが、本宮詣のついでにでも、いつかまた再訪できればと思う。