今回の2019年統一地方選挙、道府県議選では定数2277人のうち26.9%の612人が無投票で当選。政令市議選も、定数1012人のうち34人が無投票で当選を決めました。
巷でよく聞かれる「政治に興味はない」「誰がなったって同じ」。実際のところ僕も、たとえ議員の構成員が一人変わったとて、道府県議会に関しては与野党がひっくり返ったとて、国民の日常生活にはほとんど影響は無いのではないかと訝(いぶか)っています。
投票率低下が問題として叫ばれていますが、無投票で当選者が決まることは、必ずしも有権者の責任ではありません。
議員になりたい人が減っているということは議員職に金銭的にも職務的にも魅力が無いということですから、議員職のあり方そのものを考え直さなければこの状況は打破できません。
とはいえ、無投票選挙は「国民主権・民主主義のあり方」という点に目を移せば大問題です。
民主主義国家においては国会議員はじめ都道府県議員、市区町村議員が我々国民の代表者として「選ばれ」、我々の代表として(国会においては)立法権を行使します。
彼らは国民の手で「選ばれる」からこそ代表たり得るのであって、学級委員が自薦他薦のぽっと出で決まるのとはわけが違います。
無投票で代議士が選出されるということは、我々の選択の権利が侵されているのと同じです。日本は議会制民主主義・国民主権の国ですが、我々に選ばれたわけでもない議員が議会に居座る現状のもとで、「国民が主権を握っている!」と胸を張って言えるでしょうか。
政治思想というものは国民の日常生活から最も遠くに位置し、また抽象的でありながら、その一方では安寧な日常生活を支える根幹をなしているともいえます。
どうかそのことに目を向け危機意識を持つ国民が増え、この現状が打開されることを願います。