あまりに不憫な長濱ねる欅坂46卒業

昨日長濱ねるの欅坂46卒業が発表されましたが、過去稀にみる悲しい卒業劇になることは必至です。

けやき坂46設立のキーパーソン

そもそも長濱ねる(以下ねるそん)が欅坂46に加入したのは、欅坂46第一期生オーディションが終了し、加入メンバーが決定されたのちの言わば1.5期生と呼んでもいい時期。

特例での合格であったため、欅坂46の研究生扱いような形で「けやき坂46」が設立されねるそん中心にグループ作りが成される運びとなります。そして現在の日向坂46一期生(当時の名目はけやき坂46一期生)の募集も行われました。

つまり先日単独デビューが発表された日向坂46はねるそんの存在なくしては結成され得なかったグループであり、彼女はけやき坂46結成にあたって「功績」と呼ぶにはおこがましい重要な役割を担ったわけです。

長濱ねるが思い描いたアイドル像とは


ねるそん憧れのアイドルは元乃木坂46の伊藤万理華。

その事実だけで「彼女は乃木坂メンバーのようなアイドルになりたかった」とするのは強引ではありますが、自分の目指していたアイドル像が平手友梨奈依存の現在の欅坂46の中にあったとは到底思えません。

けやき坂46の成長

欅坂46の「ダーク路線」と対照的に、けやき坂46は欅坂にぶら下がる形ながらも「ハッピーオーラ」を合言葉に明るく溌溂としたグループ像を確立させて行きます。

けやき坂46の結成(2015年11月発足発表、2016年5月一期生決定)後もねるそんは欅坂46との兼任を続けていましたが、欅坂46の人気が爆発的に伸びる中で「目の下のたんこぶ」とも言える存在であったけやき坂46を離れ、欅坂46の専任となることが発表されました(2017年9月)。

当時のけやき坂46はZepp(ライブハウス)ツアーを回るような規模感のグループでしたが、そこから急激な伸長を見せました。

2018年1月には平手友梨奈負傷から急転直下で武道館3days。
その後は全国ホールツアーを回り、年末には再び武道館3daysを開催。
そして2019年2月に欅坂46参加からの完全分離、すなわち、日向坂46への改名と単独デビューが発表されます。

けやき坂と欅坂の狭間で

①けやき坂として活動開始

②欅坂・けやき坂の兼任

③欅坂への専任

と活動してきたねるそんでしたが、「自分は一体どちらのグループの一員なのか」「(このグループ(欅坂46・けやき坂46)で)自分の描くアイドル像を体現することはできるのか」と、心中を正確に推し量ることは出来ませんが、煩悶の日々が続いたであろうことは容易に想像がつきます。

卒業決定のきっかけは日向坂46では?

ところで、彼女の目指していたアイドル像は欅坂46よりも乃木坂46に近かったのではないかと考えられることには先に言及しました。

欅坂46よりも乃木坂46寄りのポジションを取る日向坂46(けやき坂46)に残れる可能性もあったにも関わらず、一方的に欅坂46専任を告げられたねるそん。自分のなりたいアイドル像を体現し得る場(けやき坂46)が手のひらから零れ落ちていき、単独デビューによってけやき坂46復帰の可能性は無くなりました。

卒業を決めた決定的な要因を断定することはもちろん出来ませんが、日向坂46のデビューが卒業を決める一つのきっかけになったことは疑いありません。

けやき坂46がこれほどまでに成長するとは、多くの当時の欅坂46ファンからすれば思いもしなかったこと。
ですからこのような結末を迎えてしまったことは結果論にはなりますが、自分がきっかけに結成された「理想的な」グループに留まれずに卒業を選ぶことになったねるそんが不憫でなりません。

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