道草

【読書録】『道草』(1915) 夏目漱石著

こんにちは。
前に他のブログで記憶の定着を目的に書評を書こうと取り組んだりしていたことがあるんですが、ほとんど続かず挫折。
そもそもそこまでの学がないので、「書評」を目指すとどうしても堅苦しくなってしまって書き続けるのが辛かったのが一要因。
ということで、今回はあくまで「読書録」として、自分本意な感想やら何やらを書いていこうと思います。
なので、もし何かの間違いでこのページにたどり着いてしまった方は、話半分で読んで頂ければ幸いです。笑

今回読んだのは夏目漱石の長編小説『道草』。
1915年に朝日新聞に連載されていた作品のよう。
ドイツに居るということでもちろん文庫本の購入は不可能なので、Amazon kindleで拝読。
Kindleを持っていなくても、スマホにアプリを入れればKindle化されている作品は読むことが出来ます。
それに漱石の作品は著作権が切れて青空文庫化されているので、無料です。

 

話の軸になるのは主人公の健三。
健三は、ロンドン留学帰りの大学教師。
幼いころには島田という男の元に養子に出されていました。

そんな健三ですが、「職業柄少しは金を持っているだろう」と、元養父の島田、元養母、義理の父、腹違いの姉など、様々な人物から金を集(たか)られます。
とはいえ2人の娘(終盤で三女が生まれます)を育てている手前、「少し繋がりがあるからといって与えるような金はない」と、どの請求もあの手この手で断わり続けます。

しかし、金をせびる上記の人物たちを、どこか他人と思えない健三。
島田とは今となっては縁も完全に切れているといえ、幼いころに育ててもらった恩が幾らかある。
元養母には嫌な思い出しか無いが、すっかり変わり果て寂れた姿に同情を捨てきれない。
相場に手を出し資産を溶かした義理の父だが、渡欧中には妻と娘が大いに世話になっている。

金を遣る気は無いが、だからと言って無視はできない。そんな複雑な想いを内に秘めている健三の心の移ろい。その表現描写がこの小説の魅力だと感じました。

しかし、小説の最終盤で健三は、結局島田へと100円の金を渡します。
そして最後には、「「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起こった事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他(ひと)にも自分にも解らなくなるだけの事さ」」と吐きます。

金だけと言わず、人間関係など何事も、始まってしまったものは終わらない。終わらないなりに、なにかケジメを付けていかなければならないのだ。
というのが、健三の言うところ。そして、漱石の意図したところだと感じました。

 

読了までの所要時間は4時間15分ほどでした。
私小説的でつまらないとの評判があるとの情報も目にしましたが、「社会・人間関係というしがらみの中に生まれる人間の性(さが)」というものについて考えることができたので、面白かったですし読んで良かったなと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です