コーヒー哲学序説

【読書録】『コーヒー哲学序説』(1948) 寺田寅彦著

こんにちは。
Kindleで適当に面白そうな本を読んでいってるんですが、短めの本にあたりがちなので更新多めです。

昨日まで夏目漱石の『道草』を読んでいたのですが、少し息抜きをしようと、比較的短くて面白そうだったこの『コーヒー哲学序説』をチョイスしました。
読了までの所要時間は、12分。
短いエッセイ調なので、サラッと読めます。

この短いエッセイの中で面白いなと思った部分は、この一節。
「宗教は往々に人を酩酊させ官能と理性を麻痺させる点で酒に似ている。そうして、コーヒーの効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ているとも考えられる。酒や宗教で人を殺すものは多いがコーヒーや哲学に酔うて犯罪をあえてするものはまれである。前者は信仰的主観的であるが、後者は懐疑的客観的だからかもしれない。」

寺田はベルリンに留学をしていたようで、その際のコーヒーの思い出。そして、日本に帰ってきてからのコーヒーの思い出にエッセイの大半は費やされています。
それを読むだけでも(現在ドイツにいる身としては)面白かったんですが、上記の一説は特に面白かったです。
酒が主観的でありコーヒーが客観的である、という考え方を上手く噛み砕ききれていないんですが、なんとなく「あぁ、なるほど」と思わされる一文。
僕自身コーヒーは好きなので、「コーヒーは懐疑的客観的」であるということを少しく日々意識してみようかと思います(何をひらめくかは全く分かりませんが)。

 

という訳で、さくっと『コーヒー哲学序説』読書録でした。
簡単に読めるので、コーヒーが好きな方、昭和のヨーロッパ行に興味がある方は読んでみると良いかと思います。

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