名護市。東京に暮らしていると、米軍基地移設問題で耳にすることがほとんどの地名である。
美ら海水族館のある本部町近くに立地するため多くの観光客が”通過”したことのある土地であろうことは想像がつくが、名護の市街地が観光地と呼べるかどうかで言えば否であろう。
このたび足を運んだのも、「週末に北部を見て回るための軸にしたかった」「名護が思いの外大きな町だと分かったのでリモートワークにも支障がなさそうと踏んだ」というだけ。
しかし現地に足を運んでみると、戦禍によって破壊された中南部には見られない、本土的ともいえる温かい風景・風土が名護の町にはあった。
目次
1.本土と似た風景2.若者が多い
3.ほのかな閉鎖性
4.基地・北部探訪
本土と似た風景
先にあげた本土的ともいえる温かい風景。
市役所前のバス停から宿に向けて歩みを進める中で、景観の沖縄らしくなさ、ひいては本土らしさに驚かされた。
幾何学的なフォルムの市役所、南国を思わせる木々、それらは確かに沖縄を彷彿とさせるものであるかも知れない。
しかし、小川が注ぎ込む汽水域、その向こうに見える広い空とのびのびとした山々。この景色は私の知っている”沖縄”ではない。
小川に沿って、家屋の脇を縫うように伸びる小道や、海沿いを走るバイパス道路。
海に出てみれば水面の蒼さに沖縄を思い出すが、それを取り払ってしまえばまるで本土のとある海辺の田舎町の風情である。
市街地の真ん中には、樹齢500年ともいわれる「ひんぷんガジュマル」がそびえ立つ。
名護の戦史には明るくないが、激しい地上戦にさらされた沖縄本島の地に居ることを忘れてしまうほどの、雄大な立ち姿である。
若者が多い
未だ出生率の高い沖縄において「若者が多い」ことに言及するのはどうなのやらとも思う。だが、商店街の寂れ方に比して、若者の活力に目が留まることも多い土地だった。
名護市営市場を中心とした商店街区は、平成初期の面影を引きずっているような様相で、やや活気に欠ける。
だがしかし軒を開いている個々の店々に目をやると、真新しく、若々しく、活気に満ちた雰囲気をあちこちに感じられる。
200席規模のチェーンにも似た風貌の居酒屋、気さくなお兄さんが仕切る焼肉店、こじんまりしたメキシカン料理、アメリカンなハンバーガー店。
どの店舗も、30歳前後と思しき店員店主が切り盛りする店だった。
市営市場の井戸端はまさしく田舎の一ページといったところだが、「田舎町」という感想よりもその活力に目が行く、力強さを感じる町であった。
ほのかな閉鎖性
名護特有の事象でないことは承知しているが、1ヵ月半の沖縄滞在でこのような経験をしたのがこの一幕だけだったので、沖縄の閉鎖性というものにこの一節で触れてみることにする。
沖縄は閉鎖的な土地だと方々でいわれている。移住者に冷たい、内地の人間を受け入れてくれない。「別にどこの田舎町だって同じことでしょ」といわれれば確かにそのとおりのようにも思われるが、沖縄と本土には圧倒的な地理的隔たりがあり、言葉も違えば背負っている文化的背景も本土のそれらとは大きく異なる。
金曜日の夜、仕事終わりに地元の寿司店に足をはこんだ。
7席のカウンターと、4人掛けテーブルが4つほど。
テーブルはがらんとしているが、一人客だからと既に常連が4人腰かけているカウンターに通される。コロナ禍、口角泡を飛ばさぬようにと意識しているが、真横でがあがあとやられると居心地が悪い。
だが、こちらが”外モノ”なのだから気にするだけ失礼だなと、黙々と食べ、飲む。
ガラガラと、内地語を喋る団体が入ってきた。4人組。
するとカウンターの店主「最近はナイチャーが来るからなあ」とポツリ。
カウンターで、マスクをせず常連とわいわいがやがやと寿司を握る店主と相対している内地者としては、どうもやるせない気持ちになる。
立ち居振る舞いで現地の人間でないことは分かっていたであろう店主、口がすべったのか、一瞬極まりの悪いようなそぶり。こちらもよほど極まりが悪い。
ナイチャー/ウチナンチューという仕切りがあることは当然知識では分かっていたが、ナイチャーを”悪”のように、目の前で言葉に出されると、これほどに心が荒ぶのか、と。
その一瞬は心に穴が開いたような、「内地の人間が沖縄に口や手足を出しても虚空を切るだけでは」という虚無感のようなものを感じてしまったが、やはり名護を訪れてよかったと思う。
この経験は、那覇やど真ん中の観光地では得ることの出来なかったものだろう。
基地・北部探訪
最後に、週末を使って北部をぐるっと見回ったのでその感想も付記しておきたい。
キャンプシュワブの埋め立て問題や高江のヘリパッド問題などで揺れる名護市や国頭村。今回はキャンプシュワブ周辺を簡単に見て回ることができた。
確かに、浜の向こうの海にはクレーンが立ち並び、キャンプシュワブのゲート前には簡易のテントが組まれている(人は一人も居なかった)。
クレーンが海上に立ち並ぶ キャンプシュワブゲート前の座り込み
しかし一方で辺野古の町や港に足を運んでみれば、米軍関係者の家族が公園に遊び、漁業関係者は漁の後片付けに淡々と取り組む、”普通”の日常があることがよく分かった。
というよりも、認識を矯正することができたと言った方が表現は適当かも知れない。本土で辺野古問題のニュースを見るにつけ、「辺野古」が神格化され、そこに人が住まわっていることにすら頭が回らなくなっていた。
高江のヘリパッドについては、訓練地域の返還に伴う施設整理で高江地区にヘリパッドが新設される、という問題。
こちらについては、人っ子一人居ない林深くに警備員と座り込み要員が対峙していた。「やんばるの森にヘリパッドは要らない」と散々看板を目にしたが、部分返還が成されただけでも良かったでは無いか、何しろ住民の全くいない森の中の話なのだからそんな蒸し返すようなことでも、と正直私には思えてしまった。
(もちろん、ヘリパッド”移設”ではなく”削減”を伴う部分返還が最適解であることには疑いの余地が無い)
つらつらと基地問題について述べてしまったが、ともかくもこの、週末北部訪問は本当に決行してよかったと思う(レンタカーを借りないことには手も足も出ないので、ギリギリまで迷っていた)。
沖縄旅行で今後辺戸岬に行く機会もまず無いであろうし、自分の足で辺野古の浜を踏むことも無いであろう。がしかし、国産コーヒーや大石林山の大自然、やんばるくいなの里。また足を運びたいと思わせる場所ばかり。名護、国頭村、東村、どこも素晴らしい風景、空気を感じられる土地であった。