夕陽と国際通り

ひと月半の沖縄滞在(那覇 GOTO ワーク④ 1103-1108)

日本国内で、いちばん日常から遠い土地にきてしまった。

18才で大学生になってから、これまでに1都1道2府42県の地を、それなりの観光をともないつつ、踏むことができた。

みずからこう言いきるのはどうも虚しいが、自分にはリゾートというものが似合わないように思う。そのせいもあって、勝手に沖縄というものを自分の身から遠くはなれた場所に置いてしまっていた。

沖縄→リゾート→華やかな人たちが足をはこぶ場所、というイメージを変える契機になったのは、國場事務所でのインターン経験である。気もそぞろにあたふたしていた記憶ばかりが思い返されるが、それでも、国政の目線で沖縄をながめると、沖縄への知識が増えれば増えるだけそのイメージは少しずつ変わっていった。
下関、松山、鹿児島に続いてワーケーションの地にここ沖縄を選んだわけであるが、リゾート気分というよりも、実地に勉強に来たような心持ちがつよい。

あいも変わらず町の感想に対する前置きが長くなっているが、何かといえば、本編として、那覇の街を見て感じたこと、書きたいと思ったことがほとんどない。15年以上ぶりに沖縄の地を踏んで、なにを感じなにが見れるかと思えば、なにも自分の中に見えてこない。

思うに、琉球史、米軍統治、現代政治となまじ沖縄に触れてきたこともあってか、沖縄に足を運ぶということに対して、自分のおもい描いていた沖縄像の”確認作業”のような心持があまりにも大きいのではないだろうか。

空がひろく近い、定食に必ず沖縄そばがついてくる、鉄軌道がないのは案外不便、沖縄本島は思っていたよりも大きい、書店の沖縄コーナーが凄まじく広い…。
どの発見も、取るに足らないものばかりで、どうもちっぽけなものに思えてしまうのである。

ジュンク堂で沖縄関連の本を買い漁り、『琉球布紀行』(澤地久枝)、『沖縄・先島への道』(司馬遼太郎)をこの数日で読んだ。そのせいで、エッセイとは、紀行文とは、と筆が進まないというのもある。

それにしても、あれを書きたい、これを書きたいと心に溜まるものが驚くほどにない。やはり、那覇について書くなどおこがましい、という思いが思考に枷をかけてしまっているような気がする。

那覇のあとは石垣→那覇→名護→沖縄市と点々とするつもりである。なにか、書き手としての心が揺さぶられるような邂逅はあるだろうか。
ー司馬の文体にあこがれて、那覇 (2020/11/07)

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