3月11日。東日本大震災発生から8年の月日が過ぎました。
復興道路の開通や鉄道路線の回復など明るいニュースもありますが、一方で行方不明者は未だ2500人以上。故郷から離れた地での避難生活を余儀なくされている方々も5万人以上と多く居られるのが現状です。(2019/3/12 朝日新聞朝刊)
ちょうど一年ほど前、福島、宮城、岩手の海岸線を、少しずつの時間ではありますが訪れました。
石巻、大船渡、陸前高田を見て廻り、「本当に町が消えて無くなるんだ」ということを身をもって実感しました。
その経験もあり、年明けに静岡を歩いていて「津波発生時浸水予想区域」の標識を見た際には「いつかこの町も跡形もなく無くなってしまうんだろうか」と考えを巡らせましたし、父方の実家がある和歌山県串本町も、多くの村、集落が津波が来たらば跡形もなく消えて無くなるんだろうと思うとやりきれない気持ちになります。
津波の被害があった土地では、盛り土の上での新しい町づくりが進められています。
被害を受けた方々のことを棚に上げてこのような事を書くのは申し訳なくも思いますが、街並みをゼロから作り直すことができることは、過疎化の進む地方町村を再興するという意味では好機でもあります。
この100年のあいだに日本では、関東大震災、第二次世界大戦によって多くの土地が焦土と化し、その度にゼロからの町づくりが進められました。
そしてその度に実現されたのは、それ以前には考えられなかったような革新的な住まいや街並みでした。
第五次産業革命が叫ばれ、IoTやAIの導入による社会構造の大きな変化がこの先に予想される現在です。
地元の方々の心のケアが最優先ではありますが、ゼロから始める利を得た町づくりを実現し、震災以前よりも栄え輝く福島、宮城、岩手の町々を見られる日が来ることを一私人として切に願っています。