鴻の湯外観

文豪の愛した逗留の地|城崎温泉(兵庫)|温泉のすゝめ66

大むかし、といっても振り返ればほんの6年ほど前だが、サークル活動にも参加しておらず学園祭に用のない私は一人紅葉の京都へと出向いた。
その時お世話になった、ホステルの受付のお兄さんから口に出たのが城崎温泉。それ以来頭の隅を長らく占めていた温泉地であったが、関東の人間にはなかなか訪れる機会の無い、兵庫県も日本海側の温泉地である。

山陰をゆったりと周る用事ができたので、ここぞとばかりに一泊二湯。
海や河に近い土地ではあるものの、温泉街は小川沿いに造られており、山奥の温泉地に来たかのように錯覚する、不思議な温泉街であった。

外湯文化の盛んな城崎。宿泊の晩には「鴻(こう)の湯」にひとっぷろ。翌朝は「御所の湯」へ。
湯はいずれもジンと熱いが、露天の風には、湯の熱さどころか暑気をも忘れさせるこころよさが備わっている。

夜風呂は、虫の音と雨音に耳をかぶけながら。

時刻、天候、季節、むろん自分自身の心的情況によってもひとつの風呂に感じる感情は全く違う。
それじゃあ温泉の本質は何なんだろうか、と頭を巡らせたはいいが結論は出ず。
せっかくの夜の露天湯で、頭を消耗してしまった。
「ボーっと考え事に頭を巡らせることができることが、本質…?」
答えはしばらく出そうにないが、この種の記事執筆は、浮き沈みつつも続けていきたい。

朝風呂は立派な門構えの御所の湯。内湯の無い浴場というのは、それだけで何と無しに心がスッとするような気がする。こちらは川の音・滝の音に心を傾けつつ。

ここでも先晩の続き、温泉の本質とは、について一人心中談議。

城崎の外湯はいずれも新しく、キレイであった。しかし、この湯殿も50年もすれば古び、改装となろう。そこに残される”歴史”とは何なのか…

そんなことを考えながらもこちらも結びまでは至らず。
南紀白浜、崎の湯の湯船は太古の昔から変わってないのかなあ、白浜に行きたいなあ、なぞと腰を据えて考えていたところで時間一杯。

頭の体操のよい機会を得られた、文豪の愛した城崎温泉であった。

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