ONE OK ROCK東京ドーム

東京ドーム公演から考えるONE OK ROCKの現在地と未来図

昨日4月4日の東京ドーム公演を観てきたので、観ながら考えたことを少し。ライブレポートと言うよりも、TakaのMCから考えたONE OK ROCKの過去と現在と未来について書こうと思います。

まずは、少しく前置きを。そもそも今回ライブを観に行くことに決めたのは、「いい加減ワンオクに区切りを付けよう」という動機から。高校生の頃(5,6年前)は頻繁に聴いていたONE OK ROCKですが、最近はアルバムをiTunesで買いはするものの、その度に個人的な感想は「うーん、なんかいまいち」といった感じ。ドイツ留学中にヨーロッパ公演があれば良かったんですがそれも無く、「これでワンオクは最後!」と踏ん切りを付けられずにいました。
前回ワンオクを観たのはAll Time Lowとのスプリットツアーで、これもどちらかと言えばATLを観に行った部分が大きかったので、やはり最後にはワンマンを観たかった。

で、白羽の矢が立ったのが今回のライブ。僕が聴いていた頃のツアーはZepp2Days +新木場みたいなキャパシティだったので、ドーム2Daysに感慨深さもありつつ、これが最後ならいい区切りにもなるだろう、と。

やっとここから本題ですが、今回はライブレポートどうこうではなく、ONE OK ROCKの現在の立ち位置と、今後進んでいく道についてライブ中に考えたことを書こうと思います。

※TakaのMCの内容は、ニュアンスを捉えただけで一言一句同じではないです。ご了承ください。

まずはTakaがMCで言っていた、「ONE OK ROCKはみんなが思うよりも険しい道にいると思う。ヒット映画のエピソード2を作るが難しいのと同じように、たくさんの期待を背負って作品を作ることはとても難しい。」という言葉について。
ワンオクの楽曲を聴く人は世界中に何万何十万何百万と居て、リリースされる楽曲への期待値が高いことは言わずもがなです。ですが過去のリリース作品をまじまじと振り返ってみると、「ワンオクらしさって、なに?」と改めて思う方が多いかと思います。例えに東京ドームでワンマンを行うようなアーティストを挙げれば、ミスチルには「ミスチルらしさ」があり、B’zには「B’zらしさ」が、Perfumeには「Perfumeらしさ」があるように思います。
確かにONE OK ROCKもロックバンドであり、軸にあるものはロックです。ですが1stアルバム『ゼイタクビョウ』と最新アルバム『Ambition』を比べればその差は歴然。歌い回しから曲の構成、サウンドメイクまで何から何からが違います(なんならメンバー構成も違う)。この間ほんの10年。未だに「ワンオクらしさ」が見つからない中で東京ドームという最大キャパシティまで来てしまった。先に挙げたようなアーティストならば、ミスチルならば「ミスチルらしい曲」を。B’zならば「B’zのような曲」をリリースすれば、ファンの大多数は満足します。なぜならその「らしさ」に惹かれてそのアーティストを応援している部分が多分にあるからです(あくまで仮説ですが)。
じゃあワンオクはどうしたら良い?と言えば、最近ファンになった人は『Change』『We are』のようなポップサウンドも取り入れた楽曲に満足するでしょうし、一方で僕は『Nicheシンドローム』のようなアルバムがまた出たら面白いなと思っている。
つまり言いたいことは、ONE OK ROCKのファンは「ワンオクらしさ」に惹かれているのでは無いのではないか?という事です。そう考えれば、Takaの言っていた「期待に応えるのは難しい」という点とも符号性があります。

ではファンはONE OK ROCKの何に惹かれているのか?と言えば、僕はTakaのカリスマ性、ONE OK ROCKがバンドとして持っているストーリー性の2点ではないかと考えました。
急に分析的でなくなりますが、先にまず挙げたのはTakaについて。僕がワンオクで好きなのは2010年代前半のパンクな楽曲たちですが、今でも最新リリースを追い掛けますし、ライブも行ってみたいなぁと思います。昨日ライブを観ていて思ったのは、古い楽曲も多くのワンオクファンに愛されているという事。キャパシティの拡大スピードを考えれば、現在のワンオクファンの多くの入り口は『人生×僕=』以降だったのでは無いかと思います。それでも昨日のライブでは『内秘心書』と『努努』のアコースティックに会場全体が湧き、『未完成交響曲』『キミシダイ列車』『Wherever you are』『Nobody’s home』といった、アルバム『残響リファレンス』以前の楽曲にも大きな歓声が上がっていました。
この様子を見て確信したのは、ワンオクファンが追っているものは「ワンオクらしさ」ではなく、彼らが創り上げてきた過去を含めた「ONE OK ROCK」なのでは無いか、という事です。つまり、他の有名アーティストが持っているような「〇〇らしさ」でなく、ONE OK ROCKそのものが好きなのでは?ということです。ではなぜONE OK ROCKを過去へ未来へと追いかけたくなるかと言えば、ようやく先の部分に話が戻ってきましたが、Takaの人柄であったり包容力といった、一言でまとめれば「カリスマ性」という部分だと思います。
いつライブを観に行っても前向きで、よくMCで口にするのは「辛くなったらまた遊びに来いよ」。それに言葉が正直で、そこに惹かれる人も多いだろうと思います(昨日のライブでは「ドームツアーやって、次に目指す場所ってどこなんだよーと思うこともある」と言ってました)。それにTaka自身が持っている、『Nobody`s home』に表現されているような家族のエピソードや、過去の悪行などの(劇的な)ストーリー性。Takaを形作っている過去の出来事と、現在の立ち居振る舞いは、バンドそのものを応援したくなる要素としてかなり大きいのではないかと思います。
それともう一点挙げたのは、ONE OK ROCKのストーリー性。「親の七光り」と言われたく無いからとメディアには殆ど露出せず、その中でもこの大成功。それでいながら「挑戦し続けるか止めるかの2択」という発言を見せるなど、決して現在の地位に安住することのないバンドの姿勢とその儚さ。などなど。
人が物事に魅力を感じるポイントは百人いれば百あるので挙げればきりがないですが、ONE OK ROCKが持っている儚さといいますか、何といいますか、ともかくも、人を魅了する点がすごく多くてそのどれもが効果的だなと感じます。

この事を考えると、Takaは「ワンオクは険しい道に居る」と言っていましたが、未来はそう暗く無いのではないかと個人的には思います。昨日のどこかのMCでTakaが、「(ONE OK ROCKは)ここまで来ちゃえば挑戦し続けるか諦めてやめるかの2択」と言っていました。過去10年間でこれだけ変化を遂げてきて、未だにバンドは変化を続けています。となれば、本人の口から出たように、「もう挑戦し続けることは出来ない、全てを出し切った」という日が来るまで、ONE OK ROCKは挑戦を続け変化し続けると思います。
バンドが活動を続けるにはもちろんファンの存在が必須ですが、未だに「らしさ」を確立していないワンオクを応援している現在のファンが、今後のONE OK ROCKの挑戦・変化に拒絶反応を起こすとは思えません。
それに昨日の本編終盤でColdrain、Cossfaith、SiMのボーカルがゲストで出てきましたが、ライブ全体の中でこの瞬間の歓声が一番大きかったんです(Takaの声が聞こえずに、誰が出てきたのか分からなかったほど)。それぐらいワンオクを取り巻く環境全体を、ひいてはロックを愛している懐の深いファンが多いことが分かったので、より強く、彼ら(僕も含めてですが)ファンがONE OK ROCKから離れていくことはそう無いだろうと確信しました。

最後に分かりやすくまとめると。
・「ワンオクらしさ」は未だに存在せず、バンドは現在も進化・変化を進めている
・バンドの持つ「らしさ」でなく、ONE OK ROCKそのものに惹かれているファンが多い
・また、音楽を愛している、懐の深いファンが多い
・そのため、TakaのMCからも分かるようにONE OK ROCKはこれからも挑戦(変化)を続けていくであろうが、ファンが離れていくことは無いだろう
ということです。

MCで「そろそろバンドの第一章を終わらせて第二章を始める時が来た気がしている」と言っていましたが、これまでの目まぐるしい変化の期間を第一章として、第二章では「ワンオクらしさ」というものを確立していくのではないかと思います。
ここまで読んできていただいてアレですが、あくまで一ファンの譫言(うわごと)ですので、「そういう風にバンドの今後を見ていくのも面白いかもね」程度に読んで頂けたら幸いです。
こんな駄文を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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