【読書録】『牛肉と馬鈴薯』(1901) 国木田独歩著

読書録も、はや3本目。
今回もKindleの青空文庫で、国木田独歩の『牛肉と馬鈴薯』。
1時間ほどで読み切れる短編小説で、あらすじもさっぱり知らないままに読み始めました。

 

物語の展開される場所は、明治後期の、「ハイソサエティー?」な男性の集まり(飲み会)の場。
6,7人ほどの男が酒を飲みながら会話をしているわけですが、中上流階級を標榜しているせいか、どうも言い回しが鼻につきます笑

まずタイトルの「牛肉」と「馬鈴薯(ばれいしょ、じゃがいも)」についてですが、これらは「現実主義」と「理想主義」の比喩として作品内で用いられています。
簡単に言えば、現実主義的に立ち居振る舞うことで牛肉を食べることが出来るのか、それとも一方で理想主義を標榜して、馬鈴薯しか食べることができないのか、といったところ。
もちろん牛肉のほうが上級な食べ物であって、理想を追い求めてばかりいると牛肉にはたどり着けず馬鈴薯しか食えない、と言うわけです。

序盤はこの「現実主義」と「理想主義」について酒を交えながら談義をする男たちですが、途中から岡本という男が過去の自身の大恋愛について語り始めます。
その話の筋書きはというと、岡本と彼女とは相思相愛であったが、北海道に行っている間に娘(彼女)は突如として死んでしまった、という話。

そして最後に岡本は、「私には願いが一つある!」と言います。
そこである男(誰かは忘れました)が「その彼女に会いたいんだろう?」と問いますが、岡本はさんざん願いの吐露を焦らした挙句、
「吃驚(びっくり)したいというのが僕の願なんです」
と漏らします。
岡本いわくそれは、「宇宙の不思議を知りたいという願ではない、不思議なる宇宙を驚きたいという願」とのこと。
彼女が死んだ際には気が動転したが、それは彼女を愛していたからであって、「死」という事象そのものに驚いたわけではない、という話。

「吾(われ)とは何ぞや」と自らに問うことは、世間では馬鹿にされることである(答えのない馬鹿げた問いだという意味で)。だが、この問いは答えを求めて発せられるわけではない。不思議と思うことに対して驚き、自然と心から溢れ出た問いだ、と岡本は言います。
そして岡本は、そのような、不思議(恋愛の話で言えば、「死」という現象そのもの)に心から驚けるような純粋さが欲しいと言うのです。

 

岡本は一体全体なにを言っているのか。
簡潔にまとめれば、繰り返しになりますが、「物事(事象)に対して、純真に、心から(思考を通じてではなく)驚けるようになりたい」ということだと思います。
幼少期の子どもは、何事に対しても疑問を抱き、大人に対して質問を繰り返します。
では一方の大人はといえば、知識(思考)を手に入れてしまい、心からの純真な疑問を生み出して実際に問いかけるという性向を多くは失ってしまっています。
そのことに対する国木田なりの警鐘が、この岡本の発言に表れているのではないでしょうか。

 

上述のように言い回しが堅くて難しい部分もありますが、Kindle青空文庫で無料で読めますので、是非!!(下画像からAmazonへ飛べます)
30分ほどで読み切れるかと思います!

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