完璧主義は身を滅ぼす

完璧主義は生きる上で素晴らしい考え方、イデオロギーだと思います。

人間みな100%を目指すことで完璧に近づき、より磨きのかかった姿に到達することができます。

ただ問題は、「完璧にならない限り納得できない」と0%を1%にする努力さえも憚(はばか)られてしまうこと、100%にたどり着くには途方もない時間が掛かること、の2点です。

「完璧にならないなら、やらない」の罠

人は、何ごとに取り組むにも自分なりの指標を大抵は前もって定めます。

例えば「大胸筋を鍛える!」だったらば、「毎日 腕立て伏せ30回」といった調子です。

目標を立てるだけでも立派なことですが、多くの場合、その目標の完璧な遂行は不可能です。

リタイア後の余生を過ごしているならば十分な時間があるでしょうが、仕事の傍(かたわ)らとなればなかなか難しい。

余生を過ごす老人でさえ、「なんだかしんどいなあ」と後回しにしていたら1日が終わってしまっていた、なんてこともあるでしょう。

自分に甘く、なるべく楽をしたくなるのが人間のサガです。
「サボりたい」という気持ちは誰にでも訪れるもので、この誘惑が生じないようするには相当の鍛錬が必要だと思われます。

と、ここで重要になるのは、「いかに手を抜きつつ、取り組みを0(ゼロ)にまで落とさないか」ということです。

10%を60%に回復させることは容易ですが、0%になってしまったものは10%に回復させることでさえ難儀です。

しかし完璧主義者の中には「100%できないならもう止めてしまおう」と取り組みをさっぱり止めてしまう人がいます。

たとえ30回でなくほんの1回でも良いですから腕立て伏せに時間を割く。そのことが継続の秘訣ですが、多くの人は「1回なんて自分ルールに反する」とかなんとか適当にこじ付けて、取り組みを止めてしまうのです。

完璧主義よりも継続主義(?)を生活に取り入れることが、生活の質を高める上では重要なことではないでしょうか。

100%に到達するには90%到達の3倍の労力が必要

何かの本に書いてあった話。

0から勉強を始めて90%に到達するのに10時間を要したとしたらば、90%→99%に再び10時間、99%→100%に更に10時間が必要だという話。
90%到達に掛かる3倍の時間が、100%到達のために必要だという理論です。

もちろん細かいパーセンテージには目を瞑(つむ)るとしても、自分の体験に落とし込むと納得のいく方が多いのでは無いでしょうか。
例えば中学英語の教科書を理解出来るようになるには3年あれば十分ですが、もし英字新聞を100%理解出来るようになりたいならば、確かに10年近いの努力が必要かも知れません。

完璧を目指すことは時として有用ですが、一方で時間の浪費にもなり得るのです。

結論

結局言いたいことは、

・完璧主義は自分に磨きをかける上では有用
・ただ、使い方を間違えるとマイナスの作用がより大きくなる

といったところでしょうか。

完璧を求めず、1%でも良いから継続すること。これが何より、生きる上で重要なことのように思います。


(2018/10 Goslar-Germany)

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