自由と幸福と散髪と

いつもの美容室に髪を切りに行ったんですが、僕の「美容師さんって定年の概念は持ってるんですか?」という質問から、「美容師はロボットに置き換わるのか」という話題になり、最終的には散髪文化の興りと、自由・幸福と散髪の関係の話に。

どういうことかと言えば、

・前提として、選択肢が多い(自由である)ことこそが幸福の根源
・散髪は食事や睡眠に比べれば、生きる上では副次的なものに過ぎない
・いつか、散髪することが”必需品”でなく”贅沢品”の一つになる日が来るだろう
・つまり、散髪は”必需品”でなくあくまで「幸福を支える”自由(選択肢の多さ)”を担保するもの」という立ち位置になるのでは無いか

という話でした。

すなわち、近い将来、髪型というよりも「散髪文化」自体に変化が生じて選択肢が増えるのではないか、ということ。

例えば、
地毛にこだわる人は美容師に髪を切ってもらったり、廉価に済ませたい人はロボットによる散髪。
地毛よりもウィッグで自由な髪形を楽しみたい人は、毎日スキンヘッドに自分の手で刈り上げ、外出前にお気に入りのウィッグを選択。
というような時代がやってくる可能性もあるのです。

「美容師って定年あるんですか?」の質問から、「そもそも散髪の意義とは」「美容師の概念がそもそも変わるのでは」、という話にまでなってしまったのでした。

いつになく言いたいことがとっ散らかってますが、ご容赦を。


(2018/9 Chicago-U.S.A.)

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